心が疲れた時、愛について考えること(コリント人への手紙第一 13章)
現代社会の孤独の中で、私たちは何を拠り所とすべきでしょうか。コリント人への手紙第一13章から、枯渇しない愛の源泉について分かち合います。
心が疲れた時、愛について考えること(コリント人への手紙第一 13章)
日々の忙しさに追われ、ふと立ち止まった時、私たちは自分の心の乾きに気づくことがあります。特に、都市の喧騒の中で孤独を感じたり、小さな教会で懸命に奉仕を続ける中で「自分の愛はこれで十分なのだろうか」と自問自答することもあるかもしれません。
かつて、ある高名な教育者が晩年に残した言葉に、「人間は誰しも、他者から愛されたいという渇望を抱えながら、同時に自分自身を愛することさえままならないまま生きている」というものがあります。私たちは、誰かに優しくありたいと願いながら、同時に自分の心の余裕のなさに落胆してしまうものです。
コリント人への手紙第一13章は、多くの結婚式で読まれる美しい詩のような箇所ですが、本来は人間関係の軋轢に悩む教会に向けられた切実なメッセージでした。パウロは、どんなに立派な言葉や知識、犠牲的な行いがあったとしても、そこに「愛」がなければ、それは「うるさい鐘」に過ぎないと告げます。
ここで用いられている「愛」という言葉は、単なる感情や親愛の情ではありません。ギリシャ語で「神的な愛」を意味する「アガペー(ἀγάπη、アガペー、agapē)」です。これは、相手の反応を期待せず、ただ与え続ける、枯れることのない源泉のような愛を指しています。
私たちの愛が疲れてしまうのは、自分の限られたリソースから愛を捻出しようとするからです。しかし、アガペーは私たち自身の力で作り出すものではなく、神から注がれる恵みを受け取るところから始まります。あなたが今、誰かのために尽くし、その結果として心が疲弊しているのであれば、まずはその重荷を神の前に下ろしてください。あなたは、愛さなければならないという義務に縛られる存在ではなく、まず神に愛されている存在なのです。
「愛は寛容であり、愛は親切です」(13:4)。この言葉は、あなたを追い詰めるための理想論ではありません。あなたが他者に対して寛容になれない時、その心の痛みさえも神は受け止めてくださるという意味です。あなたが弱さを抱えているその場所こそ、神の愛が注がれる場所です。自分を責める必要はありません。ただ、神があなたをどれほど大切に思っておられるか、その静かな事実に心を向けてみてください。
信仰、希望、愛。この三つは、私たちの人生という長い旅路において、決して消えることのない道しるべです。今のあなたがどのような状況にあっても、その愛はあなたを離れることはありません。あなたは一人ではなく、その歩みの中に神が共におられます。
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